おば〜の壷屋焼き
|
|
|
みんなは泡盛は好きかねぇ。
今では青い海、白い砂浜というよりも泡盛といったほうが沖縄を連想するくらい、有名な
沖縄のお酒。沖縄の居酒屋で、「カラカラひとつ!」って注文すると、この泡盛が急須の
ような形をした焼き物に入って出される。
沖縄の屋根の上や門柱にみられるシーサー。
これらのいくつかも、壷屋焼きという焼き物さ。
今回は、そんな沖縄の生活に根付いたヤチムン(焼き物)−壷屋焼きについて話そうね。
まずは壷屋がどこにあるか教えようね。
那覇空港から車で15分ぐらい。
那覇市の国際通りからお土産品店や飲食店が集まる商店街、平和通りを抜けると、そこから
国道330号線にぬける約200メートルほどの「やちむん通り」一 帯が壷屋焼きの街。8月か
らはモノレールも開通したので、牧志駅で降りて徒歩10分ぐらいで行けるよ。 |
|
 |
 |
|
牧志駅
|
|
|
やちむん通り一帯は、車の通りの激しい国道と、観光客や地元の人々で賑やかな商店街に
挟まれているのに、不思議なくらい静かなたたずまい。
平日の夕方は、仕事帰りの車で一部渋滞するけど、それ以外は、車もあまり通らないよ。
天気の良い日は、沖縄の赤瓦の民家を眺めたり、壷屋焼きの博物館や工房、喫茶店、何軒
も立ち並ぶ壷屋焼きのお店に入って、お気に入りの焼き物をさがして歩くのもいいよ。 |
|
 |
|
 |
|
博物館
|
|
瓦屋根
|
|
やちむん通りから路地を入ると、葉っぱに覆われた石垣の続く小道を散策できる。
人にもあまり出会わず、葉っぱが風に揺れる音だけが聞こえる。喧騒の那覇の街中とは
思えない、離島のにおいのする場所さ。 |
|
|
今から約300年前、首里城正殿が瓦葺で再建されたのをきっかけに、役場やお寺などが
火災防止のために屋根を瓦で葺くよう政策がとられたみたいだね。
その ため瓦の需要が高くなり、瓦を増産するためには各地にある窯場をまとめる必要
があって、それまで知花(沖縄市知花)、湧田(県庁があるところ)、宝口(現在の首
里)にあった窯場を、王府が壷屋にまとめたのが、壷屋焼きの始まりと考えられている
よ。
明治時代になると、本土から沖縄に来た陶磁器を扱う商人たちが、本土産の磁器製品を
持ち込むようになる。陶磁器は安くて軽い上に丈夫なため、壷屋焼きの 利用は減った
みたいだね。
陶工たちは、太平洋戦争の時は、日本軍の命令で日本兵の軍隊用の茶碗やバッテリーケ
ースを作り、戦後は米軍向けのお土産品をつ くったりして、壷屋焼きを絶やすことなく
今まで残してきたんだね。
1970年代、壷屋では登り窯からあがる煙が問題になり、陶工家は、ガス窯を使ったり、
壷屋から離れたところ(読谷村など)に移るようになったんだよ。
壷屋焼きには、焼き物の表面にうわぐすりをかけないか、またはマンガンをかけて焼き
あげる荒焼(アラヤチ)と、釉薬(ゆうやく)をかけて焼きあげる上焼 (ジョーヤチ)
がある。
アラヤチは、うわぐすりをかけないからあまり光沢はないけど、おもむきがあって素朴
な感じのする焼き物。ジョーヤチはうわぐすりの 種類によって、焼きあげると透明感
が生まれたり、青、茶色、緑色、黒色と色鮮やかである。 |
 |
|
 |
|
荒焼(アラヤチ)のシーサー
|
|
上焼(ジョーヤチ)の壷
|
|
南ぬ窯(フェーヌカマ)
壷屋に残る唯一の荒焼の登り窯。斜面を利用して作られ、全体がカマボコのような形を
している。昭和48年に県指定文化財になっている。 |
|
|
| 壷屋に残る製陶所。今は煙害の問題で、もっぱらガス釜を使用している。 |
|
|
 |
 |
|
 |
|
ズシガメ(沖縄の骨壷)
|
|
カラカラ(日本酒の徳利のようなもの)杯
|
|
時代の移り変わりとともに、用途を変えながら今も作られ続けている壷屋焼き。
おばぁが今回紹介したものは、ほんの一部。
焼き物は実際に手にとってみて、そのよさがわかるもの。
興味がある人は、ぜひ一度壷屋に来てね。 |
|

 
クリックしてね!
|

Copyright(c)2007 Ryukyu Bio Resource co.ltd. All Right Reserved.